十四年一月十八日
謹んで、惟るに、わが日本が日本たる所以は、二千六百有余年の長きに渡って一系のもとに君臨あそばした、天皇陛下を中心とした君民一体、君臣親子の健全たる道義国家の国柄にあるのであります。その基いをたずねれば、かしこくも天祖肇国、神武建国の大理想にあると我々は確信するものであります。
つまりは、天祖・天照大御神の達せられたる人類の悟りの境地は、同時に、大宇宙無限の真理の道でもあったのです。そしてその崇高なる大理想は、皇祖皇宗の長きをへて、今なお宮中においてのみ連綿と受けつがれております。かかる聖域にこそ、わが日本民族本来の大本があり、良心があり、そして魂があると確信するものであります。
勤皇こそ絶対、勤皇こそ人類史の金字塔、勤皇こそ万物真理の道。かかる道義を踏まえて歌い上げた我が国創世の歌の美しさはどうでありましょうか。よほど高邁な精神を持つ者でなければ、目にも見えず、舌にも乗りません。
我らの遠い祖先は、それを見、それを味わい、それをかしこんで、生命の根源である天皇の下に集結して、君民一体の国づくりをしてきたのであります。
しかるに、戦後の日本、いわゆる大東亜戦争敗戦後の、連合軍の占領支配に立脚した現下日本においては、それら真の国柄、文化、伝統と言うものが、悲しくも人々の意識から分断されて久しくあります。魂の奥底に轟く共通の歓喜を日本人はなくしてしまったのであります。
代りに反動として生まれたものが、物欲と享楽と身勝手な権利をむさぼるエコノミックアニマルと化した日本でした。まさしく不健康極まりない日本でした。どこまでも暗く低く立ち込める混濁の暗雲が、今や日本全土を覆っているのであります。
国家の顔といえる政治外交は、まるで商人の出先機関のような経済優先政策の一点張りに終始し、国家の主権も尊厳も祖先の名誉も泥だらけにして行う土下座外交は、近年目にあまるものがあります。
最高法規の憲法は、未だ他国の作った捕虜(原文ママ)占領時代の管理法を後生大事に守り続け、教育は日本史の中から、真実と正義と美徳という文字を削除し、その上で国民の愛国心を奪った。日の丸、君が代、建国記念日軽視というものの中に、明らかにそれが表れています。
国防は、魂なき不正義の平和の上に安住し、矛盾と欺瞞と戦争放棄を逆利用し、その責務を今だ他国に押し付けてやみません。
昨年のアメリカテロ事件における自衛隊派兵問題についてもしかりであります。軍人としての責務を否定するような発言がちまたでとびかうをみるに、自らが独立国としての名誉と誇りを放棄しているのであります。
そして経済は、かろうじてこれだけが一流とされております。がしかし、実際はどうなんでしょう。日本がほとんど無資源国である以上、すでにそれが砂上の楼閣であることは、バブル経済崩壊後の、ここ数年来の不景気風をみれば明白なことであります。
かつて第四権力と呼ばれたマスコミは、今やその凶悪な権勢をふるい、第一権力と言われるまでにのし上がっております。彼らは、表現と言論の自由を逆利用し、そのとめどないペンの暴力を行使し、金権と自己保身に目の眩んだ日本国民の、思想、歴史観というものを、自由独善に操ってやみません。又、ちまたにおける人心の乱れは、益々その止まるところを知りません。
中でも無道として許しがたいのは、国家民族の安寧と秩序、そして長きにわたる白人蛮族の蹂躙から、大アジアを開放(原文ママ)せんと戦った大東亜戦争を、一方的に侵略と決め付け、祖先の名誉を泥だらけにしていることであります。
昨今の我国の政治家による日本史侮蔑発言はもとより、国権の最高機関である国会においてまで、そのヌレギヌを着せようとしております。後につづくを信じ、一歩一歩祈るように積み重ねてきた我国国体と、愛する人々を守るため、その貴い命を捧げた英霊たちに、私たちはどう詫びたらよいのでしょうか。
私は今、改めてここにお誓い申します。必ずや近い将来、このような亡国的現状を打破し、我らが日本を、かつて先人の夢見た美しき秩序の国日本にならしめ、悠遠の時をこえた聖なる息吹の集う、神々の国、日本ならしめんことを。
日本民族義勇軍