東拘日記「赤き野火」1月

1/1 土曜日 元旦 快晴 寒し
 平成17年の御代が始まった。新年の抱負、決意…、堅苦しいのはよそう。いつも通りさ。しかしそうはいっても前向きでなけりゃいかん。今年はどんな年か。刑務所暮らしの始まる年だ。どんな刑務所生活を送るべきか――これを考えよう。
 留置所で一緒だった人が、「パクられて留置にぶち込まれた時点で“時計”が止まる」といっていた。ははは、まさにその通り。古典でいうなら「げにげにし」だ。世間は年越しだ新年だと騒いでいるが、俺はまだ11月1日のままさ。
 だがそれじゃいかんわけで。…とりあえず坐禅と読書をがんばろう。
 昼前、極左の宣伝カーが来て、新年のシュプレヒ。

1/2 日曜日 快晴 寒し
 終日読書。『大東亜戦争への道』。勉強になる。内容(資史料や視点)的にも文句なく、まさに著者がいうが如く「新しい、あるべき近現代史の教科書」という感じ。だが欲をいうならば、もっと多角的に見たい気がする。明治維新以降の日米支露による「防共」「大陸権益」をキーワードとする長年の抗争の最終決着を目指す戦いが大東亜戦争であるならば、例えばアメリカは当時どういった大陸権益を得ていたのか、とか、アメリカはロシア・ソ連は大陸において何をしたかったのか、とか、そういう他国の視点ももっと深く知りたい。
 夜、両親へ手紙。
    夕鴫やちちははの帰路どのあたり 秋介

1/3 月曜日 快晴 暖かし
 何だか一日とても眠い。どうもここのところ夜中に目を覚ましてしまうが、それが原因だろうか。シャバや留置にいた頃はそんなことはなかったが、ここに来てからというものどうも。精神的なものだろうか。
 丸山眞男は、「江戸期においては、我が国には“天下”概念がなかった。それゆえ幕末開国期の外交は、外国への蔑視をもとに、“屈服するかさせるか”といったものに終始した」という。少し乱暴ではあるが、まあ、その通りであろう。勿論、「開国」は特殊的政治経済事情を加味して考えねばならないが、“天下”概念がなく、世界をどうするのかといった“世界のなかの日本”という視点が欠けていたというのは充分うなずける。
 そして僕は、それが未だ尾をひいていると思う。9・11以降の対米関係や世界認識の議論――特に知的レベルの高い若者におけるそれ――など、まさに“天下”概念の欠如を感ずる。
 では、我々はいかなる“天下”概念を持つべきか。それは丸山が見落した我が国における“天下”概念、すなわち神武神勅「八紘一宇」だ。
 論をひっくり返すようだが、“天下”概念が全くなかったわけではあるまい。神武神勅は民族主義・四海同胞主義の明確たる“天下”概念だ。この日本思想を武器に、世界のなかの日本を語る必要がある。
 ともかくまずは己が基を振り返ること。そこには“天下”概念にせよ何にせよ、固有の思想があるんだ。
 正月3が日もとうとう終わり。また明日から慌しい毎日が始まる。しかし慌しさに埋没してはいけない。
 限りなき前進――いい言葉だなあ。

1/4 火曜日 晴れ 暖かし
 昼前、両親と面会。仏様のように優しい父と母。
 午後、運動。とにかく今日は外の気温がメチャクチャ暖かい。本当にいい天気だ。
 夜、ゼネコン訪朝と対北外交の実体をまとめる。
 何でも僕の公判の前日が中釜さんの公判日らしい。不思議な縁もあるもんだ。手紙出そうかなあ、中釜さんに。ぜひ「勝利に向かっての試練」という言葉を送りたい。

1/5 水曜日 晴れ 寒し
 昼前、お風呂。さっぱりし、風邪っぽくなる。
 今、ラジオからジャズが流れている。ジャズやクラシックが流れるのはめずらしい。ジャズ、スイング・ジャズ…好きなんだよなあ。
 ふと思ったのだが、ジャズの歴史は詳しくないが、やはり昔からあるものだと思う。そういう意味で言えば、アメリカの「演歌」「民謡」の類に入るのかな。シャンソンやR&Bなんかは間違いなく「演歌」「民謡」だ。
 北島三郎が好きで、しかもジャズやシャンソンやR&Bなんかも好きな俺は、要するに「演歌」が肌に合うのだろう。

1/6 木曜日 曇時々雨 寒し
 午後、『史記列伝』入る。しかし明日ぐらいには舎下げの本が入るので本の最後の目録をメモって領置。しかし差し入れの好意には感謝。
 夕食前、母から手紙入る。公判のことなど。いろいろ心配しているようだ。本当に申し訳ない。
 四日の接見には尚ちゃんも来てくれていたとのこと。
 ところで臥龍さんのアドバイスで坐禅を毎日欠かさずやっている。ちょっと前まで夜だけだったが今は午前午後の二回。「心身脱落」「脱落心身」。「花は紅、柳は緑」。ただひたすら坐るべし。

1/7 金曜日 晴れ 寒し
 舎下げの本がなかなか来ない。『正論』が入ったから助かったが、明日から三連休である。ちゃんとした本が読みたい。
 少し句をひねる。始めると時間はあっという間に経ち、頭はつかれるが、なかなかドシっとしたのが出来ない。

1/8 土曜日 晴れ 暖かし
 1日句をひねる。
  憂国道志会 野村――12年
  正氣塾   若島――12年
  憂国誠和会 渡辺――12年
 俺は?

1/9 日曜日 晴れ 暖かし
 弁護士先生へ手紙。何故あの行為におよんだのか、何を考えていたのか、などのこと。理解してくれればいいが。
 いや、理解というのは“賛同”して欲しいという事ではない。僕の思想犯としてのプライドを理解して欲しい。それなりの考えが自分にはあるのだということ。
 しかし拘置所の休日はつまらぬ。何しろ舎下げ類が一切来ない。だから留置の本が読めない。
 メシがどうの待遇がどうのなんてことは一切いう気はないが、知的刺激がないのだけはつらい。
 いろんな人の獄中日記を読んでみたい今日この頃。

1/10 月曜日 成人の日 晴れ 暖かし
 三連休の最終日。知的刺激に飢える一日。
 今日は成人の人いうことで、全国で成人式が行なわれている。
 成人の日・成人式といえば昔は1月15日と決まっていた。しかし「連休を増やし消費を刺激する」ため祝日法が改正され成人の日など一部の祝日が第2月曜や第3月曜に移ったため、今日が成人の日であり成人式が行なわれている。だが私はこの成人の日の移行ほど不満を感じるものはない。
 そもそも“成人”とは何ぞや。
 昔は元服して合戦に出て、初めて“成人”と認められた。最近でいうならば徴兵である。徴兵され兵隊さんとなって初めて“成人”と認められた。一族郎党を守るため、あるいは国を守るため、自分を捨てて戦うようになって“成人”と認められる、すなわち私利私欲を超える人間が“成人”なのである。
 現代になって元服や徴兵がなくなった時、何かその名残を惜しみ、また「“成人”とは何ぞや」ということを教えようと、成人式が始まり、成人の日が出来た。故に、成人式において若者に「“成人”とは」と教えるとかそういうことは一旦置くとして、成人式・成人の日の精神は「私利私欲を超える」という精神にもとづいてなければならない。
 しかるに今の成人式・成人の日はどうか。「私利私欲を超える」の精神にもとづく式典としての日が、「消費を刺激する」などという欲丸出しの理由で移されたのである。こんなバカな話があろうか。「昔は良かった」のようなことをいっているのではない。精神的軽薄さ、矛盾を矛盾と感じない知的レベルの低さ、ということを問題にしているのである。そしてこれが戦後日本の姿なのだということだ。
 去年の今頃は、長野で全教の抗議運動に出てたなあ。

1/11 火曜日 晴れ 暖かし
 今日は検事調べとて、裁判所へ。新宿署で同じだった人の調書。何でわざわざ僕がいかなきゃいけないの?こっちは協力してあげてるのよ。
 まあ、公判でいづれは裁判所にいかねばならないわけで、その意味では勉強になった。
 今日、先生と両親来たのかなあ?

1/12 水曜日 晴れ 暖かし
 午前、お風呂。昨日は入れなかったので入る。今日は僕しか入る人がいないから、キレイで気持ちいい。昼まで手紙。両親へ。
 夕方、パンフが大量に入る。感謝。今日はじっくり読む。感想は明日記そう。

1/13 木曜日 晴れ 暖かし 風強し
 昨日入ったパンフを精読。みな激励、支持、連帯を表明して下さっている。まことにありがたい限りだ。
 掲示板でも皆書き込んでくれる。感謝。「古びし骸」こと菅野さんも。ただただありがたし。がんちゃんもがんばってくれとる。
 ただし、『レコン』11月号はいただけない!大行社掲示板の間違った“声明”をそのまま載せやがった!まったくやりきれない。訂正をしてもらおう。
 夜、両親へ手紙。靖国へお参りしてくれたことへのお礼。頭が上がらない。本当に感謝である。
 両親のためには早く出なきゃいけないと思うが、もし「早く出たい」と僕が思ってるととられればやりきれない。自分の行動の責任から逃れるつもりはない。
 ともかく今は天に全てをゆだねるしかないと思う。

1/14 金曜日 晴れのち曇り 寒し
 昨夜、急に寒気がし、夜中に熱が出た。風邪をひいたようだ。だるい。頭が重い。
 ここ数日「レコン」の件で苛立ち、精神がたるんでたからか?
 ただボケーっとするのを“たるみ”とは思わない。野村秋介ではないが、獄で視野が狭くなり、心を高く、広く持てなくなる事を“たるみ”だと思う。
 思想犯と言う自負があるのに、視野を狭め自分の事しか考えられなくなる――これは思想的活動家的“たるみ”である。
 公判近し。気をつけよう。

1/15 土曜日 雨 寒し
 風邪、長びく。たるんでんだなあ。『諸君!』の北一輝の記事を読む。やっぱ“カリスマ”なんだと実感。
 なかでも彼の思想・政策である。彼はある意味“預言者”であるといえる。彼の状況認識や思想は、必ず的中し、また後世現実のものとなった。すなわち日米開戦と第二次大戦の危険性について警鐘をだいぶ前から鳴らしていたし、『日本改造法案大綱』は日本国憲法のなかで――勿論、不十分な点、問題点、多々あるが――実現した。
 ではそれは何故か。何故“預言”はあたるのか。それは北には正確な、また壮大な世界史的歴史認識があるからである。すなわち、“次はこうなる”というのが明確に分かっていた。予想があったのであり、そこからそれをもとに政策を打ち出すから、“的中”するのである。
 松本健一『評伝北一輝』を読もうと思う。

1/16 日曜日 雨 寒し 風強し
 拘置所って忙しい。一日があっという間だ。
時は流れてゆく。「うたかたの〜」である。

1/17 月曜日 晴れ 寒し 風強し
 風邪、長びく。参った。
 『大吼』新春号、読む。菅野さんが出ている。妙に懐かしい。ネットでも菅野さんにはありがたいお言葉をいただいている。
 ものすごくマジメな人なんだと思う。だからこそ不良も出来るんだろうな。
 午後、がんちゃんから差し入れ。感謝!
 「赤き野火」まとめる。がんちゃんに渡そう。

1/18 火曜日 晴れ 暖かし
 午前、「赤き野火」まとめる。俺のサイトかがんちゃんのサイトへ掲載だな。何て、勝手に決めちゃったら怒られるね。
 昼前、公判用の服が届く。
 午後、両親と面会。先方の会社の人と会い、話し合いをしたそうだ。本当に負担ばかりかけて申し訳ない限りだ。
 やはり会社としては「あれは国際事業部の独断行動」ということをいってくる。ただし、会社としては申し訳なく思っているとのこと。俺は勿論この会社に個人的な怨みがあったわけじゃない。その無見識・無節操さに怒りをもったが、それは俺の行動の本質ではない。あくまで北鮮利権だ。YPだ。ただ北鮮利権・YPを問題とし行為する事において、会社、および社員に迷惑をかけたのは事実である。特にあのフロアにいた人たちには、だ。だから会社として誠意あることを示してくれた以上、俺もその点は誠意を持って対応せにゃならん。
 さて、『さまよえる日本宗教』なる本を読む。その中で自分的に気になった部分をつらつら書いてみる。いわゆる江戸時代の若衆宿における“いじめ”の問題である。
 若衆宿ではルール違反への制裁(いじめ)がとても厳しかったそうであるが、著者はその理由を「日本の宗教的精神構造による共同体の防衛」と説明する。「我思う、故に我有り」という言葉があるが、これはいわば「我疑う、故に我有り」ということである。人間は相互に疑いあい、不信の中で生きている。しかしそれでは人間はバラバラになり、社会を営めない。そこで超越的創造神を創り、そこにおいてルールを生み、また疑いあうバラバラの人間を「神の被造物」などとして神を介し結びつけ、社会を営むのである。西洋の絶対的一神教の世界などがまさにそうである。けれども我が国は違う。超越的創造神など存在しない。神を介した人間同士の結びつきもない。それでは人間はバラバラになり、社会を営めないのでは、と思うかもしれない。しかしそうではない。我が国は、「我疑う〜」の世界ではなく、「我信ず〜」の世界なのである。故にルールも神に根拠を得る必要はなく、みんなのルールにムラのオキテといったぐらいのもので充分なのである。
 だが人間である以上、「我疑う」の部分もある。ルールを破る者もいる。そういった時、それは「我疑う」の部分を助長し、社会を崩壊せしめるものとして必要以上に問題視される。自分達の共同体への敵対ととらえられてしまうのだ。だからちょっとしたルール違反への制裁が徹底的に行なわれる。その行為が“いじめ”なのだ。“いじめ”てルールを教え込み、共同体の崩壊を防ぐ、すなわち江戸時代の若衆宿の“いじめ”とは、「日本の宗教的精神構造による共同体の防衛」といえるということである。
 また同時に、ルールの根拠が神ではなく、みんなで取り決めた事、すなわちみんなの“信”であるのだから、ルール違反への制裁は宗教的に行なわれるのではなく、地上的現実的に行なわれなければならない。神への背信ではなく、みんなへの背信なのだから。
 “いじめ”と一言で言っても、これほど深いのである。

1/19 水曜日 曇り 暖かし
 何とも妙に集中力の湧かない1日。こんなことではいかんということはよくわかっているんだが、どうも。
 今、丸川氏の差し入れで葦津珍彦先生の『国家神道とは何だったのか』を読んでいる。戦後に生きる我々は、雰囲気でわかったような気になって物事を語っている。国家神道もそうである。「では国家神道とは? 」と問われて、明確に答えられる者はいるのか。じっくり読んで感想を書いてみるつもり。
 目を閉じて広がる独居の大宇宙
とは菅野さんの句なり。目を閉じると確かに宇宙が拡がる。もっと正確にいうと魂が拡散する感じ。自分が融けて、主客や個と全といった対立を超え、自分が全ての中に入り込むような、また逆に全てが自分の中に入ってくるような感じがする。
 チベットのお坊さんは瞑想をし、日常的に死に触れる修行をしているらしい。というよりも肉体的死が訪れた後に起こる出来事をシミュレーションしておくのである。
 肉体的死の後も四九日間意識(のようなもの)は亡びず、宙をさまよっている。そしてこの間意識は、様々なヴィジョンと対峙する。それは人間が無意識的に感ずるものの象徴である。例えば恐怖だったり喜びといったものを象徴したヴィジョンが意識の前に現れる。これにとらわれてしまうと輪廻から抜け出せず、また六道をさまようことになるのだ。
 であるからチベットのお坊さんは常日頃から死後に現れるビジョンをイメージし、とらわれることのないように訓練する事により、解脱をはかろうとしているのである。またマンダラなども、死後に現れるヴィジョンを絵で表すことにより、それを見ていわば“慣れ”ることにより、とらわれないようとするためにあるらしい。
 “目を閉じて”みると凄い。目を閉じて大宇宙を感じられるし、魂が拡散し自分が全てに融けてゆく感覚もするし、死後のバーチャルな体験も出来る。
 そうなってくると目を開けている時のこの世界とこの感覚は何なのか。夢幻なのか。法相や華厳の教えはよく知らないが、夢幻なんかではない。少なくとも禅の世界では違うはずだ。間違いなく現実として実在するものである。存在を存在として、あるいは存在の本質を知る事が大切なのであり、仏教はけっして空とか夢幻といって現実から逃げるような教えではない。
 何だかよくわからんことになった。もう寝よう。

1/20 木曜日
 差し入れの本が届く。名越先生の本と影山先生の『一つの戦史』『『みたみわれ』の3冊。感謝。
 影山先生の本が入るとは思わなかった。「兵庫介さんが差し入れする」と母が言っていたので、それのことだろうか。『維新者の信条』もそうだが、貴重な本である。感謝しながら大切に読もう。そういえば大學の『維新者の信条』はボロボロだったなあ。てゆうか兵庫介さんが入れたの?がんちゃんも兵庫介さんがどうしたこうしたいってたなあ。がんちゃんルートで入ったのかな。聞いてみよう。そしてお礼を言おう。
 大東塾か。こんな精神的に汚れた俺は、ミソギしなきゃ大東会館にも入れんよ。けれども“維新”は、あるいは“日本”は、大東塾に帰着すると思う。ただただ尊敬だよなあ。
 警察で調書とられる時に聞かれて思い出したが、初めて『維新者の信条』を読んだのは高校生の時か。ちゃんとしっかり読んだのは大學入ってから。何を思ったかといわれれば、“無私の心”っていうのかな、私心を捨ててお国のために尽くす先生の気持ちを読みとった。今思うと、私心を捨てるというか、“維新”“日本”と合一するっていう感じがする。自分が日本なんだと確信する、ということなんだと思う。
 影山先生の講演のテープも聞いた事がある。明治維新における国学の位相を説明するないようだ。ペリーの事を「ペルリ」「ペルリ」と呼んでいたのが実に印象的。あのテープももう当分聞けない。
 『一つの戦史』少し読んでみた。さわりだけ読んだだけだから何とも言えぬが思想云々というよりも影山先生の人となりというか、その「はっちゃけぶり」に少々驚きながらも面白く読む。三回も刑務所行った人だからそりゃボルテージも凄いのはわかっているが、そのワンパクさがいい。青春活劇というか、漱石の『三四郎』みたいな感じ。もっとよく読んでみる。

1/20 木曜日 晴れ時々曇り 暖かし
 公判での陳述用文章推敲せる1日。頭重たし。心配になってきた。上手くしゃべれるだろうか…。
 昼前、両親と接見。主に公判の事。
 午後、兵庫介さんへの手紙の推敲。
 『一つの戦史』読了。『民族派文学』である以上、“文学”として読まねばならぬのであろう。すなわち題材と主題を分けねばならない。やはりこの本は、“黒田哲夫”という男 青春活劇であり、そのなかに〈序〉にもあるが、“外”に何かを求め、“外”に“外”に行き急ぎ破滅を迎えた時、己を“外”に向かわせていた“内”なるものに求めていた何かがあったのだという主題があるといえようか。
 いづれにせよ僕の『維新者の信条』の理解は浅かったのであり、もっと影山先生の本をよまねばならぬということである。
 まあ、しかし堅苦しいこといわず影山先生の血湧き肉踊る自伝として面白く読んだほうがよいな。
 来週には兵庫介さんへ手紙を出そう。

1/21 金曜日 晴れ 暖かし
 午前、弁護士接見。公判の事。大丈夫かな?また「赤き野火」12月分送る。ネット掲載楽しみ。
 午後、母から手紙。なんだかよく分からない内容。何か誤解しているようだ。土日は手紙や電報出せないんだから、金曜日に変なこといってこないで欲しいなあ。弁解や説得の手段ないんだもんなあ。土日が暗くなっちゃうよなあ。
 1日、影山先生『みたみわれ』読む。よい歌ばかりなり。僕の好みとしては、獄生活を歌ったのは勿論だけど、思想が前に前に出てない歌が好きだ。
  夏安居の窓外千里つきこよひ詩心はるかにむしを聴くかな
  ひねもすを壁にむかひてつねのごと黙してあれどこころ新し
といった歌がいい。あとは酒の歌か。やっぱりやまとをのこは酒が飲めなきゃ。

1/22 土曜日 晴れ暖かし 風強し
 「レコン」へのコメント推敲。“尖兵”という言葉を使ったのがポイント。また随筆「ブームについて」書く。
 さて、連日、葦津先生『国家神道とは〜』読む。
 要するに、現在いわれ、イメージされるところのオドロオドロしい「国家神道」なるものは存在しなかったのだ、ということ。
 すなわち、ヨーロッパモデルの近代国家建設にいそしむ明治政府は長州藩のパトロンたる真宗の政略を媒介にし、神道を皇室の宗法に祭り上げ、一般の神社を「神道に非ず」とすることにより一般神社の政治介入を阻止し、国家を形成したのである。であるから、神社界が、特別に優遇された事はなく、「信教自由」が政府のスローガンであるから、一般神社への信仰が強制された事はない。
 いまいち上手く書けない。しかしいづれにせよ「国家神道」など“幻想”ということ。改めてきちんと書くつもり。
 囹圄の身となる前、世間は“冬ソナ”ブームであった。今、私はかくの如き状況にあるため冬ソナブームがどうなったのかしらない。けれども差し入れの週刊誌などに時折、“冬ソナ”の文字が載っていることを見れば、ブームは未だ続いているようだ。
私はブームにすぐに飛びついたりするタイプではなく、過去の多数あるブームも「ふっ、バカな」と一顧だにしていなかった。 けれども私は正直に告白する。私は本当はブームに飛びつきたくて飛びつきたくてしかたなかったのだ。例えば“ベッカムヘア”のブーム。世間の若い男はみなイングランドのベッカム選手の髪型を真似ていた。私は絶対にそんなものには流されまいと、ベッカムヘアをやらなかったし、ベッカムヘアにして喜んでいる友人達をバカにしていた。しかし私は本当はベッカムヘアをしたくてしたくてしかたなかった。けれどもバカにしている手前堂々とは出来ないから、家に帰りお風呂でシャンプーをする際、一人ベッカムヘアにして鏡に向かってニヤニヤしていた。実に恥ずかしいが事実である。
 とはいっても私にも言い分はある。それは世間が「ブーム」と騒ぎ、友人達が我先にと飛びつくから、こちらは何か物怖じしてしまい、気づいたら出遅れてしまい、結局ブームに飛びつけないのだ。ベッカムヘアも大騒ぎされる前から知っていて、「これはくるかも」なんて思っていた。途端、世間が「ブーム」とやいのやいの騒ぎ、みなやり始めるから、私は何となく出遅れた気がして今更やるのも気恥ずかしいと思い、結局やれなかった。
 冬ソナブームもそうだ。冬ソナ自体はだいぶ前から知っていた。世間が騒ぐ前から「面白そうじゃん」と思い、「今度見てみよう」と思っていた。そしたら突然やれヨン様だと世間が騒ぎたて、何となく逆に見づらくなって、結局見づじまいなのである。
 だから私は、私を世間や友人が置いてけぼりにしたような気がし、逆うらみの如く、ブームにはまる世間や友人を「全く自分のない連中だ!」などといって自分のアイデンティティーを保ち、しかし本当はブームに飛びつきたくてしかたがないから、お風呂でベッカムヘアにしたり、本屋でこっそり冬ソナ本を読んだりしていたのだ。
今、私は囹圄の身である。これから当分“ブーム”と関係のない生活を送る。私が今度ブームに触れるのは何年先の話だろうか。その頃には、私が「自分のない連中め! 」と呼んだ友人達も、素晴らしい“自分”を持ち、家庭を築き、立派にこの日本を支えているのだろう。
 囹圄より解放された時、一体何がブームなのだろうか。その時には思う存分ブームに飛びつこうと思っている。何となくそれが今、日々の励みなのだ。

1/23 日曜日 曇り 寒し
 公判用文章推敲、作成せる一日。今、ラジオから「ゴッドファーザー愛のテーマ」が流れている。映画音楽の特集らしい。ネットか何かで見た話なんだが、「ゴッド〜」の凄さはその〈聖と〈俗〉の対比の妙にあるらしい。例えば「ゴッド〜パートT」のオープニングはドンの屋敷で行なわれている結婚式のシーンである。屋敷の庭では〈聖〉なる結婚式が行なわれているが、屋敷のなかではドンが仕事をしているという〈俗〉がある。またマイケルがファミリーを継承した後、敵対者を一気に始末するのだが、その血の日は、何とマイケルの息子の洗礼の日なのである。マイケルが息子とともに神に誓いを立てているその裏で、マイケルの指示で大虐殺が行なわれているのだ。ここにも〈聖〉と〈俗〉の対比がある。
「ゴッド〜パートU」もしかり。若き日のドンが初めて人を殺めるのだが、その日は復活祭だかの日なのである。外では〈聖〉なる復活祭のパレードが行なわれ、しかしその裏でドンは〈俗〉なる殺人を行なうのである。  「ゴッド〜」ではこの〈聖〉と〈俗〉の対比が随所で見られるが、これが「ゴッド〜」の凄いところなのだそうだ。
 もう一回見てみたい。ムリだけど。

1/24 月曜日 曇り 寒し
 妙に寒き一日。昼前、両親と面会。迷惑かけ通しである。申し訳ありません。また、須見先生から書類・資料が届く。がんばろう。
 午後、トロッキー『わが生涯』入る。僕の日記も『わが生涯』に変えようかな、タイトル。
 葦津珍彦『国家神道――』読了せり。“国家神道”などと後世(現代)いわれているものはなかったということ。明治維新以降、国家と宗教をどういった関係性でとらえるかということに、いくつかの潮流があった。
 一つは、神道激派による儒仏基教の排撃と祭政一致(国家=宗教・神道)を主張する潮流。二つは。神道勢力の伸長を押さえるため「信教自由」と国家への宗教勢力の介入を認めない事を主張する、島地黙雷ら浄土真宗系の潮流。三つは近代政治・法・国家の概念から「信教自由」と国家への宗教勢力の介入を認めない事を主張する井上毅ら明治政府高官の潮流。
 詳しく考察する。要するに問題は「これから神道を中心にやってゆくぞ」という明治の方針があるわけだが、その時に「神道とは、では一体何か」という問題に明治人がぶつかったということであり、近代国家を建設する際に、宗教をどう国家に位置づけたらよいかという事である。
 第一の潮流である神道激派は、「神道とは?」の問いに答えることが出来なかった。すなわち彼らは統一的見解や意思があったわけではなく、平田派系のグループ、水戸学系のグループなどがあり、「我こそが神道」と論争していた。そこを島地黙雷ら真宗勢力に突っ込まれる。「彼らは神道ではなく、平田派なら平田派という一個の神道風宗教教団に過ぎない」と真宗勢力は主張する。そして同時に「神道とはそもそも皇室の伝統の事である、宗教ではない。故に神道=皇室の伝統を尊ぶのは当然であり、維新の精神に合致するが、個々の神社や教派神道は一宗教団体であり、近代国家として特別に遇したりすることは出来ない」という。
 すなわち、神道人や神社界の伸長を押さえるために、神道=皇室の伝統として尊び、持ち上げると同時に神社神道や教派神道を一宗教にすぎないとして、近代国家の精神から特別に遇する事は出来ないとして切り捨てる。勿論、神道=皇室の伝統は非宗教であるから尊んだとしても近代国家として間違ってはいない、というのである、
 この理論に、明治政府高官が乗っかるのである。近代国家建設を急いでいた彼らにとってこの理論はまことに都合がよい。神道=皇室の伝統とすれば、皇室を尊べば維新の精神に反することなく、また神社界や神道人の政治介入を押さえられ、例えば、学校で平田派の教育をする事などは、近代国家の精神に反するとして突っぱねる事ができ、全国の神社に補助金などを払う事もしなくてすむわけだ。
 こうして維新以降、特別神社が優遇される事はなく、政治の表舞台に出る事もなかった。
 戦前は「国家神道」の恐ろしいカルト的時代などと誤解されそうだが、実態は以上の通り。しいて「国家神道」という言葉を使うならば、「国家としては、神道=皇室の伝統(非宗教的なもの)を尊ぶ」ということである。
 私たちは、こういう事実を本当に知らない。隠されているのである。私たちは、本当は実に“無知”なのである。
 先日も週刊誌を見ていたら、内田康夫が「明治以降、日本は“国家神道”であったため、仏教やキリスト教が排撃された」などと書いてあった。以前からこの男はかなりのレベルの低さを見せつけるような文章を書いていたが、「ああ、やっぱり」という思いである。
 まるで無知だ。何も分かっていないではないか。「国家神道」云々については今、見てきた通りであるし、大体、キリスト者の文部大臣もいたし、明治初期には神道平田激派大量検挙されたという事実もある。これだけでも「国家神道」なるもののウソがわかるはずである。
『英霊の声』に一節、「事実は覆われ、真情は病み」である。これが戦後だ。この“バカさ加減”が戦後日本なんだ。

1/25 火曜日 晴れ 寒し
 午前、お風呂。たまにはゆっくり入りたいものだ。
トロッキー自伝、耽読せり。レーニンいわく「うぬぼれ屋」、スターリンいわく「役者」というトロッキーだけはある内容。
 僕としては『一つの戦史』とは逆に、思想的なもの、史的立場にある文献として読みたい。勿論、読み終えたら次は『ロシア革命史』である。

1/26 水曜日 雪のち晴れ 寒し
 朝、みぞれというか雪というか。それでも外で運動している人がいるから驚く。
 昼前、弁護士接見。その後、手紙などを書く。
 いよいよ明後日だ。そして明日は中釜さんの公判。がんばるぞ。

1/27 木曜日 晴れ 寒し
今、昼の三時。いつもは就寝前に日記をつけているのだが、何となく書きたくなった。ラジオからレイチャールズの「オーバー・ザ・レインボー」が流れている。コーヒーを飲みながら今聞いている。この曲は東拘の就寝の音楽でもある。オシャレだ。東拘に入れられて一番びっくりしたのがこの就寝の音楽。もう一つは今俺が飲んでいるコーヒー。コーヒーが飲める事。コーヒーを飲みながらレイチャールズを聞き、分かったような顔をしながら哲学書を読む――俺はこの東拘と東拘生活が何だかとても好きだ。
 今日は中釜さんの公判の日。明日は俺の公判。そして来月の今日は2・26事件の日。69年目である。
1/28 金曜日 晴れ 暖かし
 公判終わる。疲れた。詳しくは明日記す。

1/29 土曜日 晴れ時々曇り 暖かし
 昨日は公判だったので、今日、お風呂に入る。いつもはシャワーだけしか使わないが、今日はお風呂は僕一人だけなのでゆっくり湯につかる。生き返る心地だ。強がって毎日日記には「暖かし」と記していいるが、何だかんだいってやぱり寒いからなあ。体の心まで温まる。
午後、留置品のリストを作る。
公判について――。
 初めてのことだし、やはりというか何というか傍聴人も多くいて、自分の大きな“舞台”だし、緊張した。けれども自分の行為の誤りも含め、当時の心境、現在の心境を――不十分ではあるが――素直に述べる事が出来たと思う。
 裁判長は厳しかった。そりゃそうだ、犯罪は犯罪なんだから。両隣の裁判官が若い人で驚く。しかも何となく兄に似ていて、安心感(?)を覚える。
 検事さんは――勿論いいたいことはあるんだが――比較的いい人だと思う。他の人がどう思ったかは知らないが、結構正攻法で来てくれたと思う。イヤらしい質問はなかった。みんな来てたなあ.申し訳ないなあ。
 求刑は8年である。違法行為であり、現実に社会的な不安・迷惑をかけたわけで、そのことの反省は勿論あり、責任をとらねばならないと思っている。同時に、違法行為に出てしまった思想的・人間的な自分の思慮の浅さは今後充分見つめ直し、改変して、というか総括してゆかねばならない。服役は、そういった時間にしていくつもりだ。
 8年――ありがたく修行させてもらおうでははいか。

1/30 日曜日 晴れ 寒し 風強し
 1日中考えごと。疲れたり。影山先生の歌みたい。接禁はとれたのかな?新聞読みたい。
私は、資本主義的オートマティズムの散文的なお法行為に出てしまった思想的・人間的な自分の思慮の浅さは今後充分見つめ直し、改変して、というか総括してとぎの都市、ニューヨークにいた。街頭ではキュービズムの美学理論が君臨し、中心部ではドルの道徳哲学が席巻していた――『わが生涯』におけるトロツキーのニューヨークを評した言葉。かっこいい。
 まあ、この人も監獄の大先輩なり。「獄は天下の大道場」を地でいった人。見直うべし。塩見さんの本もちゃんと読んでみたい。来週ごろ入るらしい。

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