東拘日記「赤き野火」12月

12/7 火曜日
東拘移監。朝、新宿署を出、バスに揺られて東拘へ。
 渋滞の首都高から隅田川と下町の街並みが見える。留置には窓に目隠しがあり、外の景色が見えなかった。だからなのか、何だか首都高からの景色がとてもキレイに見える。ずっと見ていたい。渋滞をこれほどありがたく感じたことはない。
 昼頃、東拘到着。病歴、犯歴など、入念なチェックを受け舎房へ。 部屋は独居。比較的キレイでほっとする。
いよいよ東拘生活だ。俺の闘いの第2ステージが始まったんだ。何だか妙にくたびれた。体が浮いたような感じがする。けれどもぼやっとはしていられない。しかも明日は開戦記念日。
 俺は闘うぞ!俺は負けないぞ!

12/8 水曜日
 今日は大東亜戦争開戦記念日。
 俺は俺の闘いを昨日から開始している。勿論、俺の闘いなど、祖父たちが闘った大東亜戦争に比べればしょっぱいもんだろう。・・・
しかし間違いなく俺の全存在をかけた闘いだ。
午前中、お風呂。まあ、キレイだ。しかもシャワー付き。これには驚く。
両親からお菓子の差し入れ。感謝。

12/9 木曜日
朝、布団と便箋と封筒が入る。布団はありがたい。官の布団は寝苦しいもんな。
封筒が入ったので若島さんと愛媛国士会さんへお礼の手紙を書く。裁判所を通して出せば、接禁でも出せるらしい。
本が読みたい。まだ私本が入らない。
ゲーテ『ファウスト』でファウスト博士が「万巻の書を読み、人は常に悲しんでいる事を知ればいいのか」なんてことを言ってたなあ。
でも別に俺は知識が欲しいわけじゃない。本に出てくる個性的な人間たちと、出会い、対話したいんだ。だからファウスト博士みたいな感慨は持たん。まあ、気持ちは分かるが。
めぐみさんのものとされる骨が別人のものだったらしい。ほっとするというか、腹立たしいというか。いづれにせよあの国は“敵国”だということ。

12/10 金曜日
 朝、差し入れたくさん入る。感謝。
 昼、官本の交換。結構内容豊富で驚く。留置はひどかったもんなあ。とりあえず井沢元彦と高校生の頃読んで断念した『仏教の思想』なる本を借りる。
井沢元彦って本当にこういうのが好きなんだなあって実感。井沢ワールド全開→『顔のない神々』
 昔は読みきれなかったが、今はスラスラと。知的向上だ(?)→『仏教の思想』

12/11 土曜日
 土曜。時局の日。元気でやってるかな?十一月六日の第五百回目の時局は、俺は新宿署の留置でやった。同房の人に向けて。驚いてたなあ。
 朝、パンツを洗う。洗い終わって気づく。どこにどうやって干すのか、と。仕方ないので適当なところにつるし、部屋干し。
 乾燥機で乾かしてくれる留置がなつかしい。

12/12 日曜日
 先週金曜日に借りた官本『仏教の思想T』なる本を読む。
 ブッダは“人間”を“存在”のなかでとらえようとした。「因縁」「縁起」という存在論を考え、人間の“善”を解決しようとした。
 まさに哲学の根本問題「存在」「人間」に、ブッダは――同時代人の孔子、ギリシャのソフィストらとともに――人類史上初めて立ち向かったのである。
 ところで本書の一番のクライマックスは、ブッダが説法のたびに出ることを決意した瞬間のシーンであろう。
 悟りを開いたブッダは、しかしそれを説くことをためらった。けれども正しい“法”を知らぬゆえ苦しむ民衆の姿に涙したブッダは、説法の旅に立ち上がり慈悲をほどこしたのである。
 その「涙」を「渾身の悩み」と読みとれば、その姿はまるで三上卓だ。野村秋介だ。実に感動的である。

12/13 月曜日
 昼前、弁護士接見。午後、両親と接見。わざわざありがとう。

12/14 火曜日
 午前、父と接見。予想される刑期にだいぶ驚き、混乱している。
 無理もないよなあ。申し訳ないとしか言いようがない。
 昼前、弁護士接見。新橋で大井さんなどと一緒に会った先生。アドバイスを下さる。
 午後、お風呂。お風呂に入れてくれるのは大変嬉しいが風呂上りに冷えて必ず風邪っぽくなるのが辛い。残念!
 待ちに待った、野村秋介『獄中日記』が入る。張り切って読もう。
 今日はいいことあるなあ。渡辺君からのメッセージも伝わったし。ありがたし、ありがたし。

12/15 水曜日
 「昼から夕方まで検事調べ」って担当さんに言われたけど、結局警察の来庁調べ。シャバの空気が伝わり、嬉しい限り。
 夜、渡邉氏へのお礼の手紙の推敲。まあ、出せないんだが。
 本日 「疾風に勁草を知る」なる言葉を知る。
 強風が吹き荒れてこそ、根の強い草と弱い草が見分けられる。つまり激動の時こそ、その人の信念が試される、みたいな意味。『後漢書王覇伝』の言葉。
疾風に勁草を知る――いい言葉だ。使わせてもらおう。

12/16 木曜日
 野村秋介『獄中日記』が入る。
 「日記にしては凝りすぎだろ!?」というのが読後の正直な感想。けれどもそれには深い訳がある。大原先生いはく、
『「“日記”と対決することで自己を深め、自己を磨こうと発願」した野村秋介氏にとって日記は単なる身辺雑記の寄せ集めではない。かけがえのない生の存在証明であった』
ということである。
まったくだ。だとするならば、凡庸な日記を野村が書けば、すなわち“凝った”日記を書かなければ野村自身が己を凡庸で“凝り”のない人間であると逆証明してしまう。野村にとって日記は必死の闘争の場である。
そしてもう1点思うのは、日記を通じ思想を生産してゆくその生産作業は、獄という非生産的空間における唯一の生産作業であり、その作業は非獄的営為である。他囚との相違が自己証明であった野村にとって、非獄的営為である日記は自己同一性の原基であり、他囚への決別宣言なのだ。

12/17 金曜日 快晴、寒し
 午前、弁護士接見。今日は須見先生。いろいろ打ち合わせ。
 またがんちゃんからメッセージ入る。ありがたし。若島さんの件での情報も。どうやら大西さんもパクられたらしい。まあ、でも、あの2人なら大丈夫だろう。
 昼前、両親と接見。何でも松尾氏に会うらしい。
 午後、お風呂。髪がかなり抜けた。ハゲルかもしれん。
 はあ、手紙が自由に出せないのは痛い。けど、出せないくせに手紙書いてストックしてる俺はもっと痛い。さみしいんだな。
 でも、さみしいのはみんな同じ。だからさみしくないふりをして強がる。三島さんは“強がり”が戦後否定されたのを嘆いた。俺も同感だ。さみしくないふりをして強がろう。

12/18 土曜日 快晴、風冷たし
 昨深夜、激しい頭痛。二度、嘔吐。いつもの頭痛プラス風邪か?まだ少し、頭痛が残る。
 午後、服役後、自分が何をしたいのかまとめる。やはり僕は「学校」的なものをやりたい。情報発信・交換、思想的研究、生産の場。勿論、思想・文化の共有による一種のコミューンでもある。
 いづれにせよ大切なのは「生産」だろう。少なくとも生産を志向することだ。結論を出すため、答えを出すため、形を作るために議論や研究があるはず。そうでない議論や研究は、一生白黒つかない灰色の世界、形のない、クラゲのような世界だ。そして僕は、そんな世界は拒否すると叫びたい。

12/19 日曜日 晴れのち曇 暖かし
 風邪、頭痛は何とか治まる。しかし油断はならん。少し根つめ過ぎたか?温かくし休むとしよう。
 昼前、何やら近くの房の者がゴネて大声出してるのが聞こえ、不快になる。
  獄は天下の大道場
これぐらいどっしり構えなきゃ。いい機会なんだから修行しろよ。
 夜、「今後の民族派運動」を仕上げる。まあ、そこそこいいものが出来た。
 ラジオから森進一が流れてる。
 襟裳の岬は何もない春です、か。

12/20 月曜日 雨のち曇 寒し
 午後、僕がやってたサイトのBBSのコピーが入る。みんな心配してくれ、また励ましてくれていた。ただただありがたし。
 ITの知識も技術もない僕が作ったサイトだから大したものではないが、それなりに思い入れがある。情報交換の場としても意義あるものであった。
 何とか出所の日まで残したいものだが、どうなるものか。消えるのもまたいたしかたなし。それが“縁起”“因縁”だ。存在とはそういうものだ。
 けれども、だからあきらめるのではなく、そこから人知を超えた何かに動かされ闘うのが、武士的精神だと思う。
 しかし本当にみんなには感謝だ。

12/21 火曜日 快晴 暖かし
 午前、学生部長と面会。大学でも処分に関して。「疾風に勁草を知る」だ。
 学生部長と面会後、両親と面会。一日一組だが「特別面会」とのこと。粋なことをしてくれるもんだ。将来のことなど両親といろいろ話す。
 午後、お風呂。
丸山眞男とは何者かと1日考える。で、結論として「国家主義者である。」驚くかもしれない。進歩派、リベラリストなんて言われた人だもの「国家主義者だなんて!」と怒られそうだ。正確にいうと「“近代国家”主義者」ということだ。彼は、ナショナリズムの重要さを説くが、それは“近代国家”を支えるそれだ。近代国家の土台、ステーツを超えるネーションを基にしたナショナリズムではない。民族的エートスが、そこにはない。だから「“近代国家”主義者」。

12/22 水曜日 曇時々晴 暖かし
 弁護士の先生へ手紙。当時の私の心境を知ってもらう。
 『鼓動』を読む。何句かいい句があったので書き出してみる。

  悩みある囚に首振る扇風機
  三つほど前科あれども日向ぼこ
  鰯雲格子の間抜け泳ぐ
             渡辺臥龍

12/23 木曜日 天長節 快晴 暖かし
 今日は天長節である。聖寿万歳を三唱する。
 しかし今日は1日いい天気だった。雲一つない快晴である。やはり天長節だからか、などと思いながら終日読書。『丸山眞男の思想史学』『夜明け前』の2作品。

12/24 金曜日 晴れ 暖かし
午前、弁護士接見。日本民族行動会議が松尾さんルートで先生に資料を送って下さったとのこと。感謝。
昼前、床屋。バリカンで周りをカットする。十五年ぶりぐらいに“坊ちゃん刈り”になる。
こういう状況下のため、先生や両親・家族、周囲の者との意志の疎通が困難でなかなか上手くいかないこと多々ある。そのたびこっちはイライラして、血圧を上げてしまう。
馬鹿になれよ桜青葉に向ひて云ふ
  三上卓
こんなことじゃいかん。己の未熟さを恥じるばかりだ。
 野村秋介の“いま君に牙はあるか”とはどういう意味か?
 牙とは、“暴力”ではない。私からいえばイバラの道であろうが自分の決めた道を突き進む“闘志”だ。
 野村は「自分の信じる道――文学でも芸術でもスポーツでも何でもいい――を突き進んで欲しい」といっている。暴力じゃない。自分の道を進む闘志だ。そして闘志とは“涙”のことだ。
 どうして人は闘うのか。闘おうとするのか。闘志は何故湧くのか。
 やはり涙を持つからだろう。何かに直面し、絶望するからこそ、それを解決するためのパトスが湧く、困っている人の姿に涙するから、その人を助けようと立ち上がる、悔しい思いをするからこそ、それをバネに人は闘うのではないか。つまり、絶望、苦悩、悔しさという事態における涙が、人を動かすのだ。涙を持つから闘志が湧くのだ。
五・一五事件の三上卓は、その涙を
野火赤く人渾身の悩みあり
と表現した。
 貧農出身の兵士が、自分の姉や妹が女郎屋に売られてゆく現実を目の前にした、大地が真っ赤に燃え上がるかのような“渾身の悩み”――その涙、渾身の悩みをもとに三上卓ら青年将校と兵士達は決起する。
 人を動かすのは涙である。
 自分の信じた道を突き進んで欲しいと願った野村にとって「いま君に牙はあるか」とは、切実なる憂憤の呼びかけであり、「共に闘おう」という熱い連帯のメッセージなのである。

12/25 土曜日 晴れ 暖かし
 昼、弁護士の先生へ手紙。民族派運動の総括。
 悟りを説くことをためらった釈迦は、しかし民衆の苦に涙し、説法の旅に出た。
 野火赤く人渾身の悩みあり――三上卓は、その涙をそう表現し“渾身の悩み”という涙をもとに闘った。
 闘う男――もとろん“闘い”とはイコール“暴力”ではない――は、まず、涙を知る事。涙を持つ事。
 ・・・僕は“右翼”には涙がなきゃダメだと思うし、“右翼”ほど涙が似合うものはないと思うけど、まあ、なかには涙のない“右翼”もいるんだなあ。
 あと、いわゆる“プチナショ”ってものへの僕の嫌悪感の原因は、やはり涙だ。“プチナショ”から涙は感じられん。

12/26 日曜日 快晴 風冷たし
 寒い日だった。
 今日一日どうであったか――。特に何も思い浮かばぬということは、ムダに過ごしてしまったのか。
 というよりも、またくだらぬことに腹を立ててた一日だった。全く、自分が情けなくなる。ある意味“仙境”にいるというのに、くだらぬことに腹を立てて、血圧を上げて・・・。
 俺はくだらない男なのか?
 そうだ、確かにくだらぬ男だ。小者だ。凡人だ。だからこそ、そこから脱却する。しようと思う。獄は、そのための“大道場”なんだ。
 たるんではいかん。
 ◎智は小者、凡人では決してない。小者、凡人は自らをそう思いもしない。母より

12/27 月曜日 晴れ 寒し
 昼前、両親と接見。打合わせ。午後、句をひねる。何句か出来た。
 俺の好きな歌と句。
 瓶にさす藤の花房短ければ たたみの上にとどかざりけり 正岡子規
 行春を近江の人とおしみける 松尾芭蕉
こういう、素朴だけどしっかりそのイメージ湧く歌が好きだなあ。

12/28 火曜日 晴れ 寒し
 午前、お風呂。キレイさっぱり。
 年末年始の休みに入るために、チリ紙やら洗剤やら大量に入る。
 ここにいると「年の瀬」なんて実感は全くないが、どうやら確実に「年の瀬」らしい。
 全く、えらいところで新年を迎える。人生なんてわからんものよ。
 午後、差し入れ入る。感謝感謝。

12/29 水曜日 雪 寒し
 朝は雨であったが、十時頃から雪が降り始めた。“舞う”のではなくしかり“降る”。
二〜三pは積もったんじゃないか?東京で雪が積もるなんてイメージ湧かないが、しっかりつもる。驚きだ。
 ラジオで「まるで忠臣蔵みたい」なんて今日の雪を評し言っていたが、全くである。シーンとした感じなんか特にそうだ。しかし俺としては、やはり二・二六だな。
 まあ、いづれにせよ、雪には血が似合い、涙が似合う。
 罪なヤツなんだよ。
 午後、両親へ手紙。心を高く持つよう説く。耐えて下さい。ゴメンなさい。
 パンフ、書籍など大量に入る。

12/30 木曜日 快晴 暖かし
 日がな読書。『大東亜戦争への道』『夜明け前』。『夜明け前』はまだ途中なのだが、これは主体性と実存の小説なのか?
 昼、お風呂。本来なら今日ではないが、明日は大晦日だからなのだろう。いづれにせよ、ありがたい。
 夜、母から手紙が入る。
「親思う心に勝る親心」とは吉田松陰。
國學院のHという方が大学に嘆願を出して下さったとのこと。何ともありがたい、嬉しい事か。Hさんという方は知らないのだが、ただただ感謝である。
 母は、「涙が出る程嬉しい」と言っていたが、全くだ。他にも数名嘆願して下さった方がいるという。何とか直接お礼申し上げたいが。

12/31 金曜日 雪 寒し
 大晦日といえど、獄はいつも通り。年越そばが出たぐらいだ、いつもと違うのは。
 いつも通り日がな読書。勿論、この一年を振り返りもする。だが特に深い感慨はない。それはこの一年を否定しているわけではない。素晴らしい年であった。たくさんのことを学び、たくさんの人と出会った、“充実”という言葉がピタリとはまる一年だった。
 しかし深い感慨はない。何故か。きっとそれは、来年も絶対によい年になると、確信があるからだろう。
 北一輝は、自分がいれられた刑務所の長所や自分を裁いた裁判所の裁判長の人柄を見て、「日本は大丈夫だ」と確信し、淡々と刑死したらしい。
 今年いろいろな場面で学んだこと、出会った人、そういうものを総括すれば、来年は大丈夫と思える。だから平常心でいられるんだ。
 獄窓の外では雪が静かに降り続いている。大晦日に雪が降るのは、東京では数十年ぶりらしい。ラジオはその話で持ちきりだ。
 窓をそっと開けてみる。鉄格子をくぐって雪が遊びに来る。
 素晴らしい一年だった。来年も素晴らしい一年になる。
 平常心平常心。

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